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由緒
本永寺は、本山に次ぐ学頭職(がくとうしき)として建武2(1335)年日朝上人が開山した日蓮宗の寺院です。ときの国主(伊東家、島津家)の意向や時勢も相まって、佐土原・都於郡・高岡麓・高城四家・高岡浦之名と移り最盛期には寺石1500石、12の末寺、300名の修行僧を有する大寺院でしたが、明治初年の廃仏毀釈により廃寺となりました。
廃仏毀釈により薩摩藩の寺院は全て破却されましたが、当山は、本山や檀信徒の並々ならぬ熱意や努力により明治16年、現在の高岡小グランドに高岡町内では唯一復興を遂げました。
大正12年には当地に小学校を建設したいとする行政や町民の要望を汲み現在地に移転しました。
住職プロフィール
本永寺住職の黒木浩順です。幼少の頃から何かと目を掛けて頂いた祖父(先々代住職)の影響を受け、大学卒業後出家得度し、平成15年に住職に就任しました。
その間、公務員を兼務し役所内や関係機関、地域住民の方々から様々のことを学ばせていただきました。この経験を踏まえ宗教的なことに止まらず悩みや相談事をお受けいたします。
学頭坊 松尾山 本永寺 第42世 黒木浩順
昭和38年生まれ
宮崎県立宮崎大宮高等学校卒業
国立宮崎大学卒業
宮崎市役所(旧高岡町役場含め)23年間奉職
日蓮宗信行道場修了
日蓮宗特命霊断師
最上稲荷山大荒行堂初行成満
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